FC2ブログ

RSS|archives|admin

スポンサーサイト

--.--.-- --
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


Category:スポンサー広告 | Comment(-) | Trackback(-) | top↑ |

自分はドコモを使っています。

2012.09.18 Tue
どうも、こんにちは、阪井冬です。

今回のブログのテーマは、「日常の当り前なことに対する疑問」ということですが、さて何に関して書きましょうか。

色々と考えうることはありますが、今回は以下のことについて書いてみたいと思います。

ずばり、『CM革命』について。

CMです。『センチメートル』ではなくて、『コマーシャル』、つまり、『テレビコマーシャル』のことです。

私の勝手な見解ですが、ここ数年でテレビコマーシャルのあり方が変わってきているように思えるのです。そう、革命ともいうべき出来事が起こっているのです。

以前までは、例えば、ある商品のCMを作ったら、そのCMを何度も何度も使い回し、しばらくしてから(数か月や数年など、ばらつきはありますが、ある一定の期間をおいてから)、同じ商品に対する新しいCMを作り、それが放送される、というのが一般的だったかと思います。しかも、その商品に関するCMの第一作と第二作との間には何の連関性もなかったのです。宣伝する商品のキャッチフレーズといった、その商品のセールスポイントこそ変わりませんが、そのCMに登場してくる人物(俳優や女優など)や、宣伝する商品を使っている状況が違っているなど、前作のCMと今作のCMの間には、何の文脈も存在しなかったのです。

ところが、ある一本のCMの登場から、CM界の流れが大きく変わりました。そう、前作と今作、第一作と第二作といったCMとCMの間に文脈、連関性が付与されたのです。

それが、あの有名な『お父さん』こと、白戸カイ君という白い柴犬が登場するソフトバンクのCMです。

携帯会社のソフトバンクは、この『お父さん』を起用したCMを駆使したことによって、『ボーダフォン』時代の低迷した売れ行きを払拭し、№1の売れ行きを誇る携帯会社へと変貌を遂げました。

この要因としては、①可愛らしい柴犬をCMに起用したことと、②その柴犬の可愛らしさからは想像しえぬほどの、渋い声の持ち主である大物俳優を、その犬のアテレコに起用し、シリアス俳優をコミカル声優として変容させた、そのギャップによる愉快さがあることと考えていましたが、どうもそういう理由だけでもないらしいのです。

というのも、①に関しては、数年前に、高金利が問題視され、一躍有名になった貸金業者のCMには白いチワワが登場していましたし、たくさんの猫が次から次へと現れ、意図せずも、その猫たちが断熱窓の恩恵を与かっているというような断熱窓のCMも存在し、動物を登場させ、商品(これは必ずしも物質的な『もの』とは限らないのですが・・・)の視聴者に対する親和性を強調するような類のものは、これまでにも多く存在したからです。

また、②の理由に関しては、例えば、防臭剤のCMに登場する、水色のクマなど、登場キャラクターとアテレコをする人物の声とのギャップを駆使して、CMを視聴者に対してより印象付ける、という試みは幾度となく存在したかと思います。

ということは、ソフトバンクが飛躍的に人気を帯びるようになった決定的な理由は別に存在する、と考えられます。

私が考える一つの理由は、テレビコマーシャルへの『物語性』の付与だと思うのです。

最初の方でも述べましたが、いわゆる前CMと今CMとの間の文脈、連関性のことです。

前のCMで、ある出来事が起こったら、それ以降のCMでは前のCMを前提として、物語が展開されていきます。

それは十数秒とは言えども、しっかりとした内容のもった話となっています。

つまり短編ドラマが構成されているのです。

人間の性(さが)としては、ある物語が途中で遮断されたら、続きが気になって見たくなるというものです。

しかも、父が犬で、母と娘は日本人、息子は外国人、そしてさらには、叔父(『お父さん』の娘と息子からの)は、まさかのスナメリ!!

これは、謎に満ちすぎている、というか設定がめちゃくちゃだということで、多少、知的好奇心のある視聴者は続きを見たいという欲望に駆られるのです。

その時点で、私たち視聴者は罠にはまってしまったんです。ソフトバンクが仕組んだ巧妙なトリックに。

そう、最初から彼らは、携帯を契約してもらうことを求めていたわけではなかったんです。

というのも、プロ野球球団の『ダイエーホークス』が『ソフトバンクホークス』に変わったばかりの頃、どれだけの人がソフトバンクという企業を知っていたことでしょうか。

携帯電話を売る会社だと十分に認識されていたとは思えないのです。

たとえ認識されていたとしても、あの『ボーダフォン』が名前を変えただけでしょ、などと思われ、ドコモやauといった大規模市場にはとても抵抗することができるなんて誰も想像しなかったでしょう。

ですから、ソフトバンクの最初の目的としては、まず『携帯電話会社のソフトバンク』というイメージをテレビの視聴者に刷り込ませることだったのです。他社の携帯との差別化を図り、携帯電話を売り込むのは後でいいということだったのでしょう。

そこで、ソフトバンク=携帯会社のイメージを定着させるのに寄与したのが、あのインパクトのある白い柴犬と謎に満ちた物語展開。とはいっても、物語は、学校の同窓会とか食卓での出来事とか、きわめて日常的なことが繰り返されるだけではあるのですが。

それにも関わらず、なぜ視聴者はそのCMを見ることを欲望するのでしょうか。なぜ日常を過ごしている我々がさらにも増して『日常』を求めるのでしょうか。

それは人々が『非日常』に飽きたからであると考えられます。

変化に富んだあらゆる種類(variety)をもつはずと期待されたバラエティー番組は、ジャンルにとらわれないこと(多様性)を意識したがために、自由な会話形式(いかにもジャンルといった枠からは解放されているように見える)といった一定のジャンルを作り出してしまいました。しかもそれは、視聴者を感動させたり、笑わせたりといった『非日常的』な会話機構です。

テレビを見るとき、人々は、現実の辛い経験や悲しい体験を払拭したり、ストレス解消といった気分転換に見ていると思われていました。

しかし、実際は、人々は会話をしたいがためにテレビを見るのです。現実世界をから離れていても、誰かしらとは会話したいのです。それは、人気なアイドルであれ、美人アナウンサーであれ、人間にアテレコされた犬であっても同様です。

そう、人々は、『非日常』を求めてテレビを見ていたのではなかったんです。少なくとも最近は。まぎれもない『日常』を欲望していたのです。だからこそ、人々の意識のベクトルは、あの『お父さん』のいるお茶の間(CMの多くは、物語が『お父さん』一家のお茶の間で展開される)に向かっていったのです。

バラエティー番組は『非日常』であることによって、かえって、『物語性』が制約され、『物語性』に満ちた『日常』に人々の意識は向かっていったのです。

人々がより一層、『日常』を求めていることを、ソフトバンクのCMは『日常』的な『物語』を展開することによって明らかにし、携帯会社ナンバーワンとなったのです。

この『物語』的なCMの手法は、それ以降の多くの他社のCMで取り入れられるようになりました。今では、『あたりまえ』と思われる、このCM手法は、『あたりまえ』ではなく『画期的』なものだったんです。

ソフトバンクは人間の潜在的な欲望を見据え、それを見事に汲み取ることを、『お父さん』を介して行い、以降のCM業界に多大なる影響を与える『革命』を起こしたのです。

終わり。










Category:はじめに | Comment(0) | Trackback(0) | top↑ |
<<方向音痴でも家には帰れる優秀な帰巣本能  高橋光太 | HOME | 「穴あき」達>>
name
title
mail
url

[     ]
Trackback URL
http://tgubd.blog82.fc2.com/tb.php/410-b776a149

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。