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労働における幸福感 平田東正

2011.09.29 Thu
 どうも平田です。
 
 なにやら最近は、難しくごちゃりとしたことばかり考えていたせいか、いざこのような記事を書こうとしたときに、軽い気持ちで書くことができなくなりました。そのためエンターテイメントを主題とする本サイトの趣旨とは著しく乖離しますが、今回は、「労働」というものについて書くことを許していたただきたく思います。

 小説家という職業は、他の職業からすると少し変わっています。サラリーマンや公務員その他の職業では、ふつう、自分は「労働している」という意識をもって働くものです。小説家にはこの「労働している」という意識は皆無なのではないでしょうか。少なくとも小説家になりたいと思う人であれば、小説家を労働と捉える人は、ごく少数でしょう。もし私が小説家になれるならば、毎日小説のことばかり考えていればよいのですから、これほど楽しいこともありません。

 文芸同好会に所属する人であれば、一度ならずとも、小説家となって生計を建てることを夢見たはずです。文字どおり「夢を見た」だけの人も入れば、実際に行動に移そうとしている人もいるでしょう。ただ確かなことは、そのうちのほとんどの人は、ふつうに就職して、労働をするということです。そして雇用情勢に鑑みれば、就職できずにニートになる人も一定数いてもおかしくはありません。

 私は法学部ですが、法学部で必ず履修するべきと言われる「労働法」では、ニートを少しだけ扱います。議論をしたりもします。このとき、法学部には真面目な人が多いせいか分かりませんが、みんなニートが好きではありません。なぜか憲法の「勤労の義務」を挙げて批判したりする人もいますが、「勤労の義務」は別に「働かなければ非国民」という意味ではないですから、間違った批判です。むしろ私が思うには、「なぜ人は労働するべきなのか」という根本的な疑問に答えずには、ニートを批判する資格はありません。

 労働についてときに言われるのは、「人には労働をしない自由」があるのではないかという、怠け者にとっては大変に魅力的な考え方です。ひるがえって、なぜ現代で労働が美徳とされているのか考えてみると、経済学や社会学らへんを学んだ人であれば分かるでしょうが、それは近代資本主義の価値観であって、別に普遍のものではありません。マックス・ウェーバーの言う「カルヴァン主義における勤労により神の救済を知ることができるという倫理観」の奴です。要は、近代資本主義社会にとって都合がいいから、労働は美徳とされるのです。

 このように資本主義社会にとって労働が美徳とされることは、その構造上当然のことではあります。しかし、それはすなわち社会の幸福であって、個人の幸福ではありません。つまり、労働をしていない人全員が、幸福になれないという意味ではありません。
 たとえば、林真理子の『下流の宴』という本があります。これは高校を中退してニートとなった息子を更生させようとして、母親が大学進学を勧めるが、息子はかたくなにそれを拒むという話です。ここで重要なのは、母親の中では「いい大学に行っていい企業に就職する」ことが幸福であるのに対して、息子の中でそうではない、幸福はもっと些細なものとなっており、幸福観のすれ違いが発生していることです。つまり息子にとってはもはや労働は美徳などではないし、幸福をもたらす魔法でもなくなっているのです。

 それでは、労働の意義とはいったい何なのでしょうか。言い換えれば、私たちはなぜ労働をするのでしょうか。もちろん、お金をもらうためという答えがほとんどでしょうが、現在の日本では労働をしなくても生きている人は一定数いますから(これはこれで問題ですが)、それが全てではないと思います。それに、労働という人生の大半を注ぎ込むものに対して、その意義がお金をもらうためだけというのは寂しいように思います。社会のあらゆる仕組みは、人の幸福のためにあるべきではないでしょうか。そうでなければ、いったい私たちはなぜこのような社会を作り上げてきたのかが、分からなくなります。

 いろいろと話が飛びましたが、結局のところ私が伝えたいことは、「なぜ自分は労働するのか」という問いを決して軽んじて欲しくないということです。この問いに答えることは、きっと、人生をより豊かで柔軟なものにしてくれるはずです。その答えは、もはや決まりきったものではなく、誰もが一から考えなければならないことです。すべてをフリーで始めたとき、人は初めて、あらゆるものを肯定的に捉えられるようになるのだと思います。つまり、働かなければならないのではなく、働かなくてもいい、それでもなお、自分は働くのだと考えるからこそ、労働に対して幸福を感じることができます。

 だいぶ長くなってしまいました。なお、労働について考えてみたい人には、法律書ですが、大内伸也『雇用社会の25の疑問』をおすすめします。
 それでは私も指が疲れてきましたので、ここでおわります。お疲れさまでした。



Category:その他 | Comment(3) | Trackback(0) | top↑ |
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今度会ったら議論したいわー。

なんだかつっこみたいところがいろいろあるけど、全部は書ききれないや。

そもそも、「働かない自由」が認められていいのかどうか。
後出しじゃんけんみたいな話だけど、
みんな物心つく前から公共サービスなんかによる恩恵を受けてきたわけで、
それに対して何も返さないでいて・社会の役に立とうとしないでいていいの?
それ許しちゃう社会って健全?

っていう視点は割と忘れられがちだから書いときます。
m2Coxy2k | なってくる | URL | 2011.09.29(Thu) 23:25:23 | [EDIT] | top↑ |

no subject

 労働(つまり利潤を生み出す行為。民間でなければ公共サービスへの奉仕か)のみによって社会への還元になるのか。
 労働だけで恩恵への返済になるなら、働かずに子供の養育だけをする専業主婦は恩恵だけを享受していて社会に還元してないのか。
 まあそんなわけなくて子供育てるってことで社会に還元してるようなもんだよね。
 働くだけが社会への還元ってわけじゃないと思う。
 あと、消費するということ自体も社会への還元になってる。生きてること自体で社会の恩恵を受け、たとえ還元したくなくてもせざるを得ないのが社会のシステムだからな。

 ただ生活保護は問題だな。外国人(韓国中国が多いが)がこっちに住まい込んですぐに生活保護を受けて暮らすのはなあ。生活保護でパチンコなど(金が朝鮮総連に流れるので日本社会への還元率が低い)のギャンブルやるやつもいるようだし。
 生活保護は現物支給にすべきだと思う。サービスなり食券なり。近くの商店街や食事処で使えるようなクーポンを作り、政府がそのクーポンを買い取って生活保護者に配布するようにする制度にすれば地域経済の活性化と生活保護の現金支給制度の問題点が改善できると思う。あらゆる部分でグローバル化っつーかアメリカナイズされてるんだから生活保護もアメリカナイズしてもいいと思うな。
 
 総論。生活保護までいかないくらいの働かない自由であればいいのではないか。
g3vbcMR. | にいざき | URL | 2011.10.01(Sat) 14:38:08 | [EDIT] | top↑ |

no subject

>にいざき
もちろん、労働によってしか社会に貢献できないなんてそんなわけないね。
「社会」を即ち「経済社会」と自動変換して縮小しないでほしいのだが、
労働=利潤を生み出す行為、で終わるのでははなくて。
労働によって、社会の人々のニーズを汲み取った新しい仕組みや商品やサービスが次々に生まれていくことで、
社会の質的向上というか、より豊かに・より「ここで過ごしたい」と思えるように社会が発展していく。といったらいいかな…。
そんな風に社会を捉えているから、労働によってなされる社会への還元は大きいと思うんだよ。
それを積極的に拒否して(即ち働かないことを積極的に選択して)、「個人の自由だ!」って大声で主張するっていうのはどうなんだろう。
それなりの責任を果たさずして自由を言う立場無し。と思うんだけど、
消費はお金を払ってまた別のサービスや商品による恩恵を受け取ってるわけで、
その消費だけじゃ 公共サービスや社会制度なんかによる莫大な無償の恩恵の分までは割に合わなくない?
- | なってくる | URL | 2011.10.06(Thu) 15:46:59 | [EDIT] | top↑ |

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