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色による認識 詩雨

2012.10.18 Thu
初めましての方初めまして!←多分居ない
また見てくれた方は嬉しいです!
思った以上に日常に疑問を感じていない詩雨です。

さて、そんな私がふと疑問に思った案件というのは、
「イメージする色がなんか似通う」ということ。
例えば主要五科目。
某社から発売されているノートは「赤、青、黄、緑、紫」の五色だったりしますが、
なんとなーく、赤を国語、青を算数……という風に使っていた方は多いんじゃないでしょうか?
我が家では、塩は青いフタの小瓶、胡椒は赤いフタの小瓶に入ってたりします。
なので、某パンダの顔が書いてある赤いフタの塩小瓶がどうにも違和感でなりません。
私の恩師である先生に、こんなことを言う先生がいました。
「男が青、女が赤なんて誰が決めた!だから俺はあえて逆を行く!!」
今考えればこれも結構無茶苦茶な気がしますが、師の言う通り、数年後にはカラーバリエーション豊富なランドセルが発売されました。

さてさて、この色による認識がどうしてそうなのか、と論じれば立派な小論文なのですが、かしこまった文章を書くのはどうにも苦手なので、気になった方は自分で調べてみてね♪
と、いうことで体験版はここまでです。どうも、詩雨でした。

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自分はドコモを使っています。

2012.09.18 Tue
どうも、こんにちは、阪井冬です。

今回のブログのテーマは、「日常の当り前なことに対する疑問」ということですが、さて何に関して書きましょうか。

色々と考えうることはありますが、今回は以下のことについて書いてみたいと思います。

ずばり、『CM革命』について。

CMです。『センチメートル』ではなくて、『コマーシャル』、つまり、『テレビコマーシャル』のことです。

私の勝手な見解ですが、ここ数年でテレビコマーシャルのあり方が変わってきているように思えるのです。そう、革命ともいうべき出来事が起こっているのです。

以前までは、例えば、ある商品のCMを作ったら、そのCMを何度も何度も使い回し、しばらくしてから(数か月や数年など、ばらつきはありますが、ある一定の期間をおいてから)、同じ商品に対する新しいCMを作り、それが放送される、というのが一般的だったかと思います。しかも、その商品に関するCMの第一作と第二作との間には何の連関性もなかったのです。宣伝する商品のキャッチフレーズといった、その商品のセールスポイントこそ変わりませんが、そのCMに登場してくる人物(俳優や女優など)や、宣伝する商品を使っている状況が違っているなど、前作のCMと今作のCMの間には、何の文脈も存在しなかったのです。

ところが、ある一本のCMの登場から、CM界の流れが大きく変わりました。そう、前作と今作、第一作と第二作といったCMとCMの間に文脈、連関性が付与されたのです。

それが、あの有名な『お父さん』こと、白戸カイ君という白い柴犬が登場するソフトバンクのCMです。

携帯会社のソフトバンクは、この『お父さん』を起用したCMを駆使したことによって、『ボーダフォン』時代の低迷した売れ行きを払拭し、№1の売れ行きを誇る携帯会社へと変貌を遂げました。

この要因としては、①可愛らしい柴犬をCMに起用したことと、②その柴犬の可愛らしさからは想像しえぬほどの、渋い声の持ち主である大物俳優を、その犬のアテレコに起用し、シリアス俳優をコミカル声優として変容させた、そのギャップによる愉快さがあることと考えていましたが、どうもそういう理由だけでもないらしいのです。

というのも、①に関しては、数年前に、高金利が問題視され、一躍有名になった貸金業者のCMには白いチワワが登場していましたし、たくさんの猫が次から次へと現れ、意図せずも、その猫たちが断熱窓の恩恵を与かっているというような断熱窓のCMも存在し、動物を登場させ、商品(これは必ずしも物質的な『もの』とは限らないのですが・・・)の視聴者に対する親和性を強調するような類のものは、これまでにも多く存在したからです。

また、②の理由に関しては、例えば、防臭剤のCMに登場する、水色のクマなど、登場キャラクターとアテレコをする人物の声とのギャップを駆使して、CMを視聴者に対してより印象付ける、という試みは幾度となく存在したかと思います。

ということは、ソフトバンクが飛躍的に人気を帯びるようになった決定的な理由は別に存在する、と考えられます。

私が考える一つの理由は、テレビコマーシャルへの『物語性』の付与だと思うのです。

最初の方でも述べましたが、いわゆる前CMと今CMとの間の文脈、連関性のことです。

前のCMで、ある出来事が起こったら、それ以降のCMでは前のCMを前提として、物語が展開されていきます。

それは十数秒とは言えども、しっかりとした内容のもった話となっています。

つまり短編ドラマが構成されているのです。

人間の性(さが)としては、ある物語が途中で遮断されたら、続きが気になって見たくなるというものです。

しかも、父が犬で、母と娘は日本人、息子は外国人、そしてさらには、叔父(『お父さん』の娘と息子からの)は、まさかのスナメリ!!

これは、謎に満ちすぎている、というか設定がめちゃくちゃだということで、多少、知的好奇心のある視聴者は続きを見たいという欲望に駆られるのです。

その時点で、私たち視聴者は罠にはまってしまったんです。ソフトバンクが仕組んだ巧妙なトリックに。

そう、最初から彼らは、携帯を契約してもらうことを求めていたわけではなかったんです。

というのも、プロ野球球団の『ダイエーホークス』が『ソフトバンクホークス』に変わったばかりの頃、どれだけの人がソフトバンクという企業を知っていたことでしょうか。

携帯電話を売る会社だと十分に認識されていたとは思えないのです。

たとえ認識されていたとしても、あの『ボーダフォン』が名前を変えただけでしょ、などと思われ、ドコモやauといった大規模市場にはとても抵抗することができるなんて誰も想像しなかったでしょう。

ですから、ソフトバンクの最初の目的としては、まず『携帯電話会社のソフトバンク』というイメージをテレビの視聴者に刷り込ませることだったのです。他社の携帯との差別化を図り、携帯電話を売り込むのは後でいいということだったのでしょう。

そこで、ソフトバンク=携帯会社のイメージを定着させるのに寄与したのが、あのインパクトのある白い柴犬と謎に満ちた物語展開。とはいっても、物語は、学校の同窓会とか食卓での出来事とか、きわめて日常的なことが繰り返されるだけではあるのですが。

それにも関わらず、なぜ視聴者はそのCMを見ることを欲望するのでしょうか。なぜ日常を過ごしている我々がさらにも増して『日常』を求めるのでしょうか。

それは人々が『非日常』に飽きたからであると考えられます。

変化に富んだあらゆる種類(variety)をもつはずと期待されたバラエティー番組は、ジャンルにとらわれないこと(多様性)を意識したがために、自由な会話形式(いかにもジャンルといった枠からは解放されているように見える)といった一定のジャンルを作り出してしまいました。しかもそれは、視聴者を感動させたり、笑わせたりといった『非日常的』な会話機構です。

テレビを見るとき、人々は、現実の辛い経験や悲しい体験を払拭したり、ストレス解消といった気分転換に見ていると思われていました。

しかし、実際は、人々は会話をしたいがためにテレビを見るのです。現実世界をから離れていても、誰かしらとは会話したいのです。それは、人気なアイドルであれ、美人アナウンサーであれ、人間にアテレコされた犬であっても同様です。

そう、人々は、『非日常』を求めてテレビを見ていたのではなかったんです。少なくとも最近は。まぎれもない『日常』を欲望していたのです。だからこそ、人々の意識のベクトルは、あの『お父さん』のいるお茶の間(CMの多くは、物語が『お父さん』一家のお茶の間で展開される)に向かっていったのです。

バラエティー番組は『非日常』であることによって、かえって、『物語性』が制約され、『物語性』に満ちた『日常』に人々の意識は向かっていったのです。

人々がより一層、『日常』を求めていることを、ソフトバンクのCMは『日常』的な『物語』を展開することによって明らかにし、携帯会社ナンバーワンとなったのです。

この『物語』的なCMの手法は、それ以降の多くの他社のCMで取り入れられるようになりました。今では、『あたりまえ』と思われる、このCM手法は、『あたりまえ』ではなく『画期的』なものだったんです。

ソフトバンクは人間の潜在的な欲望を見据え、それを見事に汲み取ることを、『お父さん』を介して行い、以降のCM業界に多大なる影響を与える『革命』を起こしたのです。

終わり。










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雨と未来と完全防御

2012.08.29 Wed
 どうもおはこんばんちわ、ゆっくりだよ。

 違います温泉郷です。

 先週は温泉郷の自己中心的怠慢とバイト先の店長の陰謀によってブログ連絡をすることができなかったことをここでお詫びしたいと思います。あいむそぅりぃ。

 今週はメールで回した通り『日常うんたらかんたら~』というテーマでやっていくことになります。

 温泉郷が最近、ちょいと不思議に思っていることは、傘、ですね。そう、アンブレラ。決してゾンビ製造とかグラサンが似合う紳士的なラスボスがいたりとかの方ではなく、雨風をしのぐ方のアンブレラです。

 最近雨が多いですよね~。特にゲリラ的な、瞬間的な大雨が。夏が終わると秋が来て、台風大暴れな季節になります。

 そんな時な必需品は傘ですよね(カッパ愛好家の方と原付移動の方以外は)。

 ですけど傘って、あんまり完璧な商品じゃないと思うんですよ。無風状態でも足元は濡れますし、風があったら平気で腰辺りまで雨で濡れてしまいますし、挙句に忘れやすくて誰かに盗まれますし、場所とりますし、欠陥品だらけな商品だと思うんですよ。

 携帯電話、ゲーム機、挙句に本や扇風機ですら近代化の一途をたどっているというのに、傘は昔(どれくらい昔か分からないですけど、おそらく平安時代くらいからはあったんじゃないでしょうか?)から今に至るまで、全く進歩していません。

 進歩している部分があるとしたら、壊れにくい形を考案したり素材を変化させただけで、物の強度が上がるというのはほとんど進歩とは言えないですよね。むしろピストルなんてプラスチック素材で軽量化を図る時代ですから。素材模索も、進歩というには程遠いです。

 進歩というのは、効率化、性能向上、大量生産性の向上の三つを示していると思います。これは現時点での温泉郷の定義なので、例外は様々にありますが。

 この定義にあてはめた場合、傘の進歩とはどんなものでしょうか?

 効率化……傘の効率化って、何? もう既にワンプッシュでバッ! サッ! となるのに。

 性能向上……傘の目的が使用者を雨に当たらせないだとしたら、全身に全く雨を当たらせないということ。え、つまりカッパと長靴?

 大量生産性……これ以上増えたら地球はどうなるのでしょうか。

 こうして見ると、傘ってある意味、完成形なんだなあと思わされます。いや欠陥だらけですけど。

 でも、欠陥だからけだとしても、その傘は万国共通に愛されているのも事実ですよね。

 欠陥があっても愛され、愛用される。

 アイテムなんざつかってんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇ! とか言う人も、傘一本で撃滅。

 これぞまさに、愛が地球を救うのではないでしょうか!

 ……………………。

 すみません意味不明なことを言いました。

 ところで、よく小学生の永遠の命題である『タイムマシンは作られるのか?』というものがありますけど、どうなのでしょう。傘が欠陥性を要したまま現在の形状を維持し続ける様な科学技術なら、タイムマシンを作るなんてできないのではないでしょうか?



 と言った辺りで、今回は終りにしたいと思います。

 序盤がこんな感じで、大丈夫なのだろうか。まあ、最初ということでハードルは低めで。

 何事も幸先は悪い方が、後々に幸福が待っているものですよね。

 以上、温泉郷でした。

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ギャンブルは誰のもの?

2012.06.27 Wed


 どうもどーも。今年度初のブログ更新を今回はやらせていただく温泉郷です。

 いきなり訳の分からない、文芸同好会において飛行機雲並みに遠い話題なタイトルを書きましたが、まあ御察しの通り、特にこれと言って深い考えを持っているわけではない。

 とにかくタイトル通りの話題を進めよう。

 ギャンブル。

 麻雀だとかパチンコだとかポーカーだとかチンチロだとかスロットだとか、おそらく数え上げたらキリがないほどの種類があるが、どれも共通して決まったルールがある。言うまでもなく、リスクが高いなら、リターンは高い。リスクが低いなら、リターンは低い。ということだ。

 どんな競技にだってルールはある。

 たとえば野球。

 たとえばボクシング。

 たとえば将棋。

 たとえばスキー。

 ルールがある。

 どうしてルールがあるか? それは参加者、競技者に理不尽なアドバンテージを発生させないためである。
 たとえば、野球には、プレイ参加者は一チーム九人とされ、ベンチの人数も限る、というルールがある。しかし、この場合のルールがもしなかったら、もしプレイ参加者の人数に制限がなかったら『人数を多く確保できたチーム』が圧倒的に有利になってしまう。つまり、財力という、一個人のみの努力、そして時間的猶予が許されない力によって、努力という力の振れ幅が零に等しくなってしまうのだ。

 だからこそ、ルールがある。

 参加者、競技者同士の努力の振れ幅を大きくするために。

 しかし。

 いくらルールで努力の振れ幅を大きくしたとしても、その努力の振れ幅を邪魔する要素は零にならない。
 その要素は様々にあるが、もっとも大きく占める要素は、その人間の資質……いや、努力の方向性とでもいうのだろうか。

 たとえば、野球を極めようとする人間がどれだけ打率を上げる為の努力をしても、体型が力士のような人間だったら、ピンチヒッター止まり。
 たとえば、ボクシングで世界チャンピオンを目指す人間がどれほどパンチ力を強くしても、野球選手のような左右の筋肉に偏りがあるなら、試合に勝てない。
 たとえば、将棋で優勝するためにどれほど思考力を鍛えても、熟練のボクサーみたく脳細胞が頭による外的暴力で少なくなっていたら勝てない。
 たとえば、相撲で大関を取ろうと押し出しの力を強くしても、棋士のような細い肉体では小結にもなれない。

 その競技をするには、するための素質、そして資質作りをしなければならない。

 では、ギャンブルに必要な素質、資質とは何だろうか?

 人類を二種類に分けるとしたら、貧乏人や金持ちという風に分けれるだろう。

 よくギャンブルは貧乏人の遊びという風潮があるが(温泉郷はそういうふうに聞いたことがある)、貧乏人は当然、金がなく、リターンが少ない。ギャンブルにおける勝ちと言うのは、持ち金よりもプラスにすること。しかし、ギャンブルでは勝ちの目よりも負けの目が多くなる。だから、貧乏人という立ち位置は、負けの道しかない。
 金持ちはどうだろうか。しかし、金持ちのやるギャンブルは、遊びである。持ちがねより少なくなろうとも、多くなろうとも、関係ない。野球をPS3でやるようなものだ。勝ち負けが存在しない競技では、やはり立ち位置的にはふさわしくない。

 そもそもギャンブルは、この世のどのような競技の中でも、誰に対しても平等な競技だ。

 なぜなら、ギャンブルで勝利するために必要な要素は、運、唯一つ。

 運というのは、名前が付き、未開地だろうが都市化が進んだ場所であろうが共通概念が存在するものの、しかしつまるところ科学的な実証のない、証明のしようのない、人間が勝手に存在させた『実在のない存在』である。

 つまり、努力も才能も左右されない、何もない唯の人間が競技に参加するのだ。

 貧乏人だろうが、金持ちだろうが、野球選手だろうがボクサーだろうが棋士だろうが大関だろうが、全てフラット。誰のもののフィールドではない。




 しかし現に、世の中にはパチプロという人種が存在する。彼ら(あるいは彼女ら)がはたしてどれほど勝っているのか、あるいは負けているのかは分からないが、パチプロと呼ばれているということは、パチンコというフィールドにふさわしい存在であるということは間違いない(あるいは、これも運と同じ実在しない存在なのかもしれないが、この場合はそれを仮定して話を進める)。他にも雀士や、賭け師と呼ばれる人がいる。

 どうしてその様な存在が認められているのだろうか?

 何もない状態で、フェアな領域で、その存在が特出できるのか?

 運は存在しない。非科学的な存在は現時点で物理的世界に何も影響を与えないと考える。

 そうすると、指摘できる前提は一つだけ。

 ギャンブルの勝利要素は、運だけではないということだ。

 そう、その大前提が間違い、勘違いだ。

 競技者の勘違い。

 純粋な運のみのゲームを作るには、どうすればいいだろうか?

 それは、シンプルであり、コンピューターが介在しない、イカサマの入る余地のないことが必須条件。

 ミステリーと同じ。もっとも解き難い密室を作るには、複雑怪奇ではなく、シンプルなだけの条件であること。開けれる鍵は一本だけ、窓の鍵は閉まっていて、部屋は内側からチェーンがかけられていて、死体は入口の隙間から銃器などの飛び道具で内側から殺せない位置にいる。さて犯人はどうやって中の人を殺したでしょうか?

 こんな感じにシンプルなほど、その仕組みを崩す細工の入る隙間は狭くなる。

 ギャンブルも同じだ。

 シンプルである程、人間の力が介入できる隙間も狭くなるのだ。

 チンチロなど、サイコロに細工がなければ、完全な確率の世界。

 逆に麻雀は、捨て牌、相手の手配から抜き取られる牌の種類と位置、表情、リーチをかけるタイミングなど、人の思考や意思がゲームを進める種類のギャンブルは、確率ではなく技術や経験がものを言う。
 もちろんその技術や経験を身につけるには、よく考え、適切に判断する思考が必要なのだ。

 ポーカー、ブラックジャックもそれだ。

 パチンコだってそうだ。店側がパチンコの当たる確率を設定すれば、勝つ確率は下がる。だが、店としては全く当たらない店だ、と噂が広まれば客は来なくなる。そのため、当たらないパチンコ台を設定すると同時に、当たる台も設定しなければならない。そしてその設定を見落とさず、台の性能や店の兆候、台の流れを研究し、考え尽くす思考と意思で勝ちを引き寄せる。店側の思考と、客の意思が確率を変える。

 人の思考と意思は、確率の世界を変動させる。

 本来ありはしない可能性を引き出す。

 ただの思考や、ただの意思ではない。

 確実たる完璧な思考と、確固たる強固な意思だ。何となく行けるという単純な思考ではなく、これでいけるだろうという曖昧な意思ではない。

 重箱の隅をつき切る理詰めに理詰めした思考。

 命という時間を平気で慎重に固め進める意思。

 パチプロや、雀士、賭け師というのはその思考と意思を持っている人のことを言うのだろうと、温泉郷は判断する。ギャンブルにふさわしい立ち位置の存在。それは、常に最善な理論を考え続け、真っ先に目的へと進もうとする強さを持った人間なのだろう。




 ―――さて。



 ここまでギャンブルのことについて語ってきたが、温泉郷が言いたいことは。

 人生とは、ギャンブルだ。

 しかも、人の意思と思考がぐちゃぐちゃに入り混じり、勝つか負けるかも分からないギャンブル。

 そのギャンブルに勝つには、勝つにふさわしい存在になるには、油断なく邁進する思考と意思を持つ、あるいは造らなければならない。

 野球選手なるためには、何となくな思考とこれでいいだろうという意思だけでは、勝つ確率を大きく変動させることができない。
 ボクサーになるためにも、棋士になるためにも、大関になるためにも。

 最適で理詰めな思考。

 それを長い時間を尽くして実行し続ける意思。










 努力。











 これこそが、努力ではないだろうか?

 勝つかどうかも、負けるかどうかも分からない人生に、運という実在しない存在を徹底的に追い詰め、否定し拒絶し続ける行動。

 他人だけを頼る思考。

 根拠のない希望的観測を信じる思考。

 後でやればいいという先送りな意思。

 最後は神頼みな貧弱な意思。

 その思考と意思を持つことができず、作ることもできない人間を、世間はこういうのだろう。

 負け組

 と。



 はてさて。

 たかだか二十年程度しか生きていないアホ間抜けが何を述べているのだと思われるような恥ずかしい文章と内容を書いてしまったが、反感だか反論だかあるいは賛成や称賛が生まれてくれるようなものになったと思っています(穴だらけの理詰めですが)。

 どうかこれを読んでくれた方が、人生というギャンブルに立ち向かうにふさわしい立ち位置に立てることを、

 運という王将を詰め切れる思考と、

 その貫き続ける強固で絶対な意思と、

 満足で幸福な人生を歩める権利を、

 それらをすべて持ち、作り、手に入れることを、

 読んでいただけた方に願いまして。

 これで温泉郷の今回のブログとさせていただきましょう。

 ご愛読、それともご哀読、ありがとうございます。
















 うわ、もうこんな時間!?

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何を書いたらいいのやら

2012.06.19 Tue
おはようございます、こんにちは、こんばんは、初めまして。風(仮)です。

一応、かっこかり、までがPNです。お間違えないよう。


それで、タイトルに書いた通り、何を書いたらいいんでしょうね?
何でもいいとは言われていますが、アニメの事やカードの事とか書いたら怒られそうですし。



まあ書くんですけどw


それじゃあカードについてでも語りましょうかね。


私、カードゲームをやっているんですよ。トランプとかではなく遊戯王といった、所謂TCG、トレーディングカードゲームです。
遊戯王かヴァンガード、名前くらいは聞いたことあるんじゃないでしょうか?

小1の時に遊戯王にハマってしまい、飽きた時期もありましたが、こうして懲りずに続けています。

……こうして振り返ってみると、中学からオタクになったと思っていたんですが、6歳の時から素質があったんですかね……


それはさておき


14年前から続けている遊戯王ですが、時が経つごとにゲームも複雑化していきます。
最初は「パワーカード(その1枚が単体で強い)が全て」というシンプルなゲームでしたが、今ではこんな感じです。

「頭を使え、思考を止めるな、カードの組み合わせを間違えるな、相手の動きを見極めろ。それが出来なかったら、即『死』だ」

……いや、脚色はしてますよ、はい。

まあ1ターンキル(ぐるぐる回る。相手は死ぬ)がたやすく出来るようなゲームにはなっていますが、それでも大抵のデュエリスト(遊戯王のプレイヤー)は文句を言いながらも楽しくやっています。
なんだかんだで楽しいんですよ。友人と闘ったり、見知らぬデュエリストに話しかけて、新たな仲間を見つけることが。

まあ何が言いたかったのかというと、

遊戯王、ヴァンガード、バトルスピリッツ、ヴァイスシュバルツをやっている、それかやりたいと思ってる会員は私のところに来なさい、以上。

ってことです。
ルールを教えるのは下手ですが、対戦相手くらいにはなれますよ。というかなって下さい。

以上、風(仮)の対戦者募集日記でした。

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